結論:工事規模と事前調査の要否を混同しない

厚生労働省の石綿総合情報ポータルは、施工業者である元請事業者が、原則として工事の規模・種類にかかわらず改修等の対象箇所にあるすべての材料について事前調査を行う必要があると説明しています。建築物の解体部分が80㎡以上、改修工事の請負金額が100万円以上などの基準は、一定の工事について労働基準監督署と都道府県等へ事前調査結果を報告する基準です。基準未満だから調査そのものが不要、という意味ではありません。

実務では、見積りや工程を確定する前に調査範囲を決め、書面と現地の両方で工事対象建材を確認します。石綿の有無を確認できない材料を残したまま破壊工程へ進めば、適切な工法、工期、保護措置、届出、廃棄物処理を選べません。調査結果報告の要否だけでなく、調査の完了と未確認部位の解消を着工条件にする必要があります。

事前調査から着工判定までの基本ゲート
  1. 工事範囲を固定解体・切断・穿孔・撤去・下地処理など、材料へ影響する範囲を図面と現地で一致させる
  2. 書面・目視調査建築時期、図面、改修履歴、製品情報と、現地の材料・施工範囲を照合する
  3. 判定できない材料を処理資格要件を満たす分析調査を行うか、石綿含有とみなして必要な措置を講じる
  4. 報告・届出・対策を確認工事規模と建材区分に応じた報告・届出、作業計画、見積り、工程を確定する
  5. 着工可否を承認未確認部位がなく、必要な手続と現場措置がそろったことを記録してから着工する

本記事の法令説明は2026年7月26日時点の一般的な整理です。条例による追加手続や個別工事の判断は、建築物所在地の自治体と所轄労働基準監督署へ着工前に確認してください。

東京・渋谷区の送検事例で公表された事実

東京労働局の平成28年度送検事例によると、渋谷労働基準監督署は2016年7月1日、会社と同社の元部長を労働安全衛生法違反の容疑で東京地方検察庁へ書類送検しました。公表内容は、2013年9月3日、東京都渋谷区の現場で、事前に石綿使用の有無を調査せずに労働者へ既存建物の床を解体させ、捜査でその床建材に石綿が使用されていたことが判明した、というものです。

公表資料から確認できるのは、工事日、部位、事前調査をしなかったとされる行為、捜査で石綿使用が判明したこと、送検日と送検先です。一方、会社名と個人名、石綿の種類・含有率、飛散量、ばく露人数、健康被害、起訴・不起訴、判決は確認できません。したがって、本事例から実際の飛散や健康影響を推測したり、有罪が確定したように表現したりすることはできません。

東京・渋谷区事例の公表時系列
  1. 2013年9月3日東京労働局の公表では、石綿使用の有無を事前調査せず、既存建物の床を解体させたとされる
  2. 捜査段階解体した床建材に石綿が使用されていたことが判明したと公表
  3. 2016年7月1日渋谷労働基準監督署が会社と元部長を違反容疑で東京地方検察庁へ書類送検
  4. その後起訴・不起訴、裁判、判決は確認できる公式一次情報なし

当時すでに石綿則に基づく事前調査義務は存在しましたが、2023年10月に始まった建築物の資格者調査など、後年の現行要件を2013年の行為へ遡って当てはめてはいけません。

鹿児島県の2024年送検事例から分かること

鹿児島労働局が2025年6月に公表した「令和6年に調査した事業場の監督指導・書類送検結果」には、建築物改修作業の開始前に石綿の事前調査を実施しなかった事案を2024年9月に書類送検したとの記載があります。近年の改修工事でも事前調査不実施が送検事例として公表されていることは確認できます。

ただし、この集計資料は市町村、工事日、建材、石綿含有の有無、会社・個人、個別の送致条項、送致先、起訴・不起訴、判決を記載していません。東京の事例と同じ事実関係だと補ったり、石綿が実際に含まれていた、飛散した、健康被害が生じたと推測したりすることは避ける必要があります。

二つの資料は記載の詳しさが異なります。公表されていない事実を、別事例から類推して補完してはいけません。

二つの資料は記載の詳しさが異なります。公表されていない事実を、別事例から類推して補完してはいけません。
確認項目東京・渋谷区事例鹿児島県2024年事例
公表された手続2016年7月1日に会社と元部長を書類送検2024年9月に書類送検
工事内容既存建物の床解体建築物改修作業
公表された問題石綿使用の有無を事前調査しなかった疑い作業開始前に石綿事前調査を実施しなかった事案
石綿含有捜査で床建材への使用が判明したと公表資料に記載なし
起訴・判決公式一次情報で確認できず公式一次情報で確認できず

現行の石綿則第3条が求める調査の順序

2026年7月26日時点の現行制度では、工事対象部分について設計図書などの書面を確認し、現地で材料を目視して、石綿使用の有無を調べます。書面と目視で有無が明らかにならない材料は分析調査が必要です。ただし、分析を行わず石綿含有とみなし、法令上必要となり得る措置のうち厳しい措置を講じる方法も規則上認められています。

2023年10月1日以降に着工する建築物工事では、一定の例外を除き、建築物石綿含有建材調査者など厚生労働大臣が定める知識を有する者に事前調査を行わせます。分析調査にも所定の知識・技能を有する者の要件があります。調査結果は必要事項を記録し、事前調査終了日などから3年間保存します。資格証の有無だけでなく、工事範囲を網羅した調査記録になっているかの確認が重要です。

現行制度の一般的な流れです。2013年の渋谷区事例発生時と資格・報告制度の細部は同一ではありません。

現行制度の一般的な流れです。2013年の渋谷区事例発生時と資格・報告制度の細部は同一ではありません。
段階行うこと次へ進めない状態
範囲設定工事図面、仕様、破壊・撤去範囲を特定追加工事や隠蔽部の扱いが未定
書面調査設計図書、改修履歴、製品情報、着工日等を確認同名建材を推測だけで非含有と判断
目視調査現地の材料、製品表示、図面との差異を網羅的に確認天井裏や下地など工事範囲の未確認部位が残る
判定根拠をもって非含有、含有、分析対象、みなし含有に分類不明のまま解体・切断・穿孔へ進む
記録・共有結果、根拠、調査者、試料位置等を記録し関係者へ共有現場図と報告書の材料番号・範囲が一致しない

事前調査・結果報告・作業届・計画届は別の手続

「調査をした」「システムへ報告した」「届出をした」は同じ意味ではありません。事前調査は石綿の有無と使用箇所を確認する実体的な調査です。事前調査結果報告は、解体部分80㎡以上、建築物の改修請負金額100万円以上など、一定規模の工事で着工前に行う報告です。規模基準未満で報告義務がない工事でも、原則として事前調査は必要です。

事前調査でレベル1の石綿含有吹付け材やレベル2の石綿含有保温材・耐火被覆材・断熱材が確認された場合、現行の厚生労働省ポータルは、工事開始14日前までに工事に関する計画の届出が必要と案内しています。施工業者側の労働基準監督署への届出と、発注者側の大気汚染防止法に基づく自治体への届出は、提出主体も提出先も異なります。対象建材、工法、条例によって必要書類が変わるため、名称だけで判断しないことが大切です。

制度の簡略比較です。個別工事では、現行様式、提出主体、対象作業、条例上の追加届を各窓口へ確認してください。

制度の簡略比較です。個別工事では、現行様式、提出主体、対象作業、条例上の追加届を各窓口へ確認してください。
制度主な目的規模・建材との関係時期・確認先
事前調査工事対象材料の石綿使用有無を確認原則として工事規模・種類にかかわらず対象箇所を調査解体・改修作業の前
事前調査結果報告一定規模の工事の調査結果を行政へ報告解体80㎡以上、建築物改修100万円以上など着工前に報告システム等
建築物解体等作業届対象となる石綿作業の内容・措置を労基署へ届け出対象建材・作業に応じて判断現行案内では工事開始14日前まで
建設工事計画届対象工事の計画を労基署へ届け出対象となる除去等工事について判断現行案内では工事開始14日前まで
特定粉じん排出等作業実施届出大気環境への飛散防止措置を自治体へ届け出大気汚染防止法の特定粉じん排出等作業発注者等が自治体へ。条例も確認

書類送検、起訴、判決、行政処分の違い

労働基準監督署が捜査した事件を検察庁へ送ることと、裁判所が有罪と判断することは同じではありません。検察官は送致された事件を捜査し、起訴するか不起訴にするかを決めます。起訴された場合に裁判所が証拠に基づいて有罪・無罪を判断します。したがって、公表情報が書類送検までなら、記事も「違反の容疑で書類送検」と記載し、違反確定や有罪と断定しません。

行政指導、是正勧告、作業停止命令などの行政上の対応と、捜査・送検・起訴・刑罰という刑事手続も分けて扱います。同じ事実を契機に両方が進むことはあり得ますが、一方が行われたから他方も行われたとは限りません。今回紹介した二事例について、記事では公式公表に記載のない行政処分や刑事処分を補いません。

刑事手続と行政上の対応は別の経路
  1. 捜査・書類送検労働基準監督署等が捜査し、事件書類や証拠を検察庁へ送る段階。有罪確定ではない
  2. 検察官の判断追加捜査を含めて起訴・不起訴を判断する。書類送検から自動的に起訴されるわけではない
  3. 裁判所の判断起訴された事件について有罪・無罪を判断する。確定前は確定判決として扱わない
  4. 行政上の対応指導、勧告、命令等。目的・根拠・手続が刑事処分と異なり、相互に同一視しない

東京・渋谷区事例と鹿児島県2024年事例は、確認した公式資料では書類送検までです。起訴・不起訴、判決、有罪・無罪は不明です。

発注者・元請・調査者が分担しても確認責任は消えない

現行制度では、施工業者である元請事業者が事前調査を実施し、一定規模の工事では結果を報告します。発注者には、設計図書や過去の調査結果など調査に必要な情報を提供し、適正な調査・工事に必要な費用や工期を確保することが重要です。調査者は資格範囲に応じて現地を確認し、材料ごとの判断根拠、未確認部位、分析対象を明確にします。

調査会社へ委託した事実だけでは、工事範囲の漏れや追加変更を防げません。元請は発注図、調査範囲図、見積内訳、施工図を照合し、工事中に新たな材料や隠蔽部が現れたときの停止・再調査手順を決めます。発注者、元請、調査者のそれぞれが同じ部屋名・部位名・材料番号で情報を共有できる状態が必要です。

契約上の分担を示す一般例です。法令上の主体や責任は工事条件により確認し、単純に委託先へ移転したと考えないでください。

契約上の分担を示す一般例です。法令上の主体や責任は工事条件により確認し、単純に委託先へ移転したと考えないでください。
関係者着工前に確認すること残す証跡
発注者図面、改修履歴、既存調査、使用状況、工期・費用条件を提供提供資料一覧、打合せ記録、追加情報の履歴
元請事業者工事範囲の全材料、調査者資格、判定根拠、報告・届出、作業計画を確認範囲照合表、承認記録、報告控え、届出控え
事前調査者書面と現地の差異、未確認部位、材料ごとの含有判断、分析の要否を整理写真、図面、材料リスト、資格証写し、調査報告書
分析調査者・分析機関試料識別、採取位置、分析方法、結果の対応関係を確認試料台帳、分析結果報告書、資格・技能の確認資料

着工前チェックリスト|一つでも不明なら破壊作業を止める

最も危険なのは、調査報告書があるという理由だけで現場の全範囲が確認済みだと思い込むことです。報告書の平面図と最新施工図を重ね、撤去・切断・穴あけ・研磨・下地処理の対象材料が一つずつ判定されているか確認します。設備の裏、二重天井、増築部、過去の改修部など、見えなかった範囲は未確認と明記し、開口・解体前に再調査する手順を工程へ入れます。

追加工事が発生した場合は、見積変更だけで処理せず、調査範囲も変更します。未確認建材が現れたら、関係者へ連絡し、破壊を止め、資格者による確認、必要な分析、報告・届出・対策の見直しを終えてから再開します。この停止権限と連絡先を作業員まで共有しておくことが、調査漏れを現場で最後に止める仕組みになります。

  • 最新の工事図面と調査範囲図が一致している
  • 工事対象の床・壁・天井・下地・配管・設備周辺を材料単位で確認している
  • 建築物の事前調査者と分析調査者の資格・技能要件を確認している
  • 非含有判断には製品情報、年代、分析結果など具体的な根拠がある
  • 未確認部位と、開口後の再調査・作業停止手順が工程表にある
  • 一定規模の事前調査結果報告と、対象建材に応じた届出の要否を確認した
  • 発注者、元請、下請、調査者が同じ材料番号と施工範囲を共有している
  • 追加工事が出た場合の調査範囲変更と承認手順を定めている

公式情報の確認先と、相談すべきタイミング

労働者の石綿ばく露防止、石綿則に基づく事前調査・結果報告・計画届等は所轄労働基準監督署へ、大気汚染防止法の届出や自治体条例は建築物所在地の都道府県・政令市等へ確認します。廃棄物処理、建設リサイクル、建築関係の届出が別に必要となる場合もあるため、一つの窓口への相談だけですべて完了したと考えないことが重要です。

相談は着工直前ではなく、工事範囲と建材が分かり、契約・工程を変更できる段階で行います。調査結果が変われば、工法、隔離、保護具、届出、工期、費用、廃棄物区分も変わり得ます。疑義があるときは公式ページの最新日付と様式を確認し、現場条件を具体的に示して判断を仰いでください。

事件記事を自社教育に使う場合も、匿名事例から企業名や人物を推測せず、「何が公表され、何が未確認か」と「自社の着工ゲート」をセットで共有してください。